「個人的に好きなその手の名言は「巨人の肩の上」だわ」
ってコメントを頂いた事があります。おまけ動画で。
(どっかで聞いたセリフだなぁー)って思ったら論文検索サイトの
Googleスカラーのトップ画面に書いてあったのを思い出した。
と言うわけで昔このサイトでニコニコ動画について検索して、その論文を見て動画の方向性を決めたって話です。(超絶自然な導入)
ニコニコ動画に関する論文
うちの動画が多大な影響を受けているのがこちらの論文になります。
詳細は読んでください。
http://swrc.ontoware.org/ontology#UnrefereedArticle
傍観者をも巻き込むCGM : ニコニコ動画の事例から
ja
P(論文)
大野 亜由子
成城大学社会イノベーション研究
7
1
93-106
2012-01
成城大学
18806414
AA12090673
ニコニコ動画って昔っから地味に研究対象にされているんですよね。
される理由はCGM(Consumer Generated Media,消費者生成メディア)として非常に革新的なシステムだからです。
CGMってなんぞや。
従来のメディアは新聞やテレビと言った、記者などの専門職がコンテンツを作成し、それを一般人が消費すると言う”マスメディア”が基本でした。
しかし、インターネットの普及に伴って一般人でもコンテンツを作成することが出来るようになりました。そういった”消費者が生成したメディア”の事をCGM(消費者生成メディア)と言います。
TwitterなどのSNSや、Youtube、掲示板への書き込み、このようなブログやニコニコ動画もすべてCGMの一種です。こういったメディアの発達した現代では「ほぼすべての情報をこれらで手に入れている」と言う人も少なくないんじゃないでしょうか。
マスメディアとの大きな違いは情報の方向性にあります。
上記論文から引用します。
「(前略)だが,1つのコミュニティ全体に影響を及ぼすような発信者足りうるのは,専門家やマスメディアなど一部の存在だけだった。(中略)したがって,少数の発信者から大多数の受信者が一方的に情報を与えられるという図式が一般的だった。」
テレビは仮に視聴率1%だったとしても、国民が1億人いれば100万人に対して一気に情報を与える事が理論上可能です。一方で、テレビの内容へ視聴者がツッコミを入れた所で家族間や職場で広まるかなーって程度。数千から数万人への情報提供すら夢のまた夢、と言うのがインターネット普及前の状況でした。当然と言えば当然ですが、情報伝達力に圧倒的な差があります。
一方でインターネット普及後に発達したCGMではどうなのかと言うと、これも引用します。
「(前略)それに対し,Web2.0 では一般のユーザも容易に発信者として情報提供が出来る。マスメディアと同等なニュースを自ら取材して来るのは不可能でも,2次的に記事内容を紹介し,それに関する議論を非常に広範囲のユーザと交わせる。また,社会的事実ではなく個人的な情報,又はオリジナル作品なら,最初の発信者として流すことも可能である。こうした「双方向的」な情報のやり取りを通じたユーザ交流をできるのが CGM であり,CGM においてユーザは情報の受信者であり,同時に発信者にもなることができる。」
”双方向的な情報のやり取り”が特徴です。従来不可能に近かった数万人を巻き込んでの議論なんてのも比較的容易になりました。流石に”情報発信力”などはマスメディアに及ばないにしても、”情報共有”の速度は条件次第でマスメディアをも凌ぎます。まぁ結果、従来は身内ネタで収まっていたものが広がりすぎて破滅などもありますが。
これによって、昔のドラマとかであった「おい、今朝の新聞読んだか?」「あぁ、大変な事になった」から始まるハードボイルドなシーンは消えました。だって”情報の共有”に新聞等のマスメディアはいらないもの。Twitterで「大変な事になったなう」とでも呟いてもう一人がふぁぼとRTすれば終わりですよ。これじゃ全然ハードボイルドじゃない。「おい、今朝のつぶやき見たか?」「あぁ、ふぁぼとRTしただろ」からハードボイルドなシーンをやれるモノならやってみろって話ですよ。どう足掻いたってギャグだよ。
閑話休題。
情報の双方向的なやり取り以外に、動画投稿者として注目したいのは「CGM においてユーザは情報の受信者であり,同時に発信者にもなることができる」って部分でしょうか。だからこそ”布教”という概念も生まれるわけです。だって布教なんて行為は発信者が見ている可能性、もしくは視聴者が発信側になる可能性に賭けているわけですからね。
ニコニコ動画の投稿者は全員視聴者。同時に、視聴者はいつでも発信者になれる。
当たり前すぎて忘れがちですけど、結構凄い事なんですよね。これ。
CGMとしてのニコニコ動画
さてそんなCGMですが、「情報の発信者と受信者が、本当に対等の情報発信力があるか?」と聞かれればそんな事ありません。
詳しくは論文読んで欲しいんですけど、例えばWikiなどは管理者が情報を発信して、他の人は基本的にはその情報を見るだけです。
ブログだってそうです。私のブログだってコメント書けるのに誰もコメントしな(検閲)
Yotubeなども大差ないです。コメント欄があるとはいえ、動画をアップロードした本人ほどの影響力があるかと聞かれたらないでしょう。知らんけど。
そんな中で2007年に生まれた革新的なCGMがニコニコ動画です。
本質に関わるとても好きな部分なのでこれも引用します。
だが,2007年に正式サービスを開始したニコニコ動画は,視聴ユーザができる行動内容に別の効果を与え,動画内容に直接介入できる仕組みを導入した。
コンテンツにおけるユーザの自由度を高くしたことで,視聴者の何気ないリアクションですら影響力を持ち,ただその場を静観しているユーザでさえも巻き込んでしまう,という独特な現象が起こるようになった。閲覧者の閲覧行動が,
あたかも投稿者達と同じように動画を一部「編集」してしまうような状態である。これにより,能動的なユーザと受動的なユーザとの垣根がなくなり,より広い範囲で一体感が生まれるようになった。
視聴者の行動が動画を編集。私の好きな表現です。
特に論文で注目されているのが、コメントを画面上に直接表示することで得られる、疑似的なリアルタイム状態です。これによって複数人が同時に動画を視聴している感覚を得ることが出来ます。
そして、これを得る事が出来るのはコメントをした人だけではありません。コメントをしない視聴専門の人でも同じ感覚を共有することが出来る、非常に革新的なシステムなのです。
悲報:ニコニコ動画、動画投稿サイトじゃなかった。
って煽りタイトルを付けたくなるような内容が、別の論文で言及されています。
ニコニコ動画では,もはや動画自体が見えなくなるほどコメントが投稿されてし まう点に端的に示されているように,動画コンテンツの視聴自体はもはや主目的ではない.ニコニコ動画で目的とされているのは, 動画を視聴する側の「体験の共有」にほかならない.つまり,このサービス をあえて一言で言い表すならば,「動画《視聴体験》共有サービス」とでもいうことができるのである.
濱野 智史「ニコニコ動画はいかなる点で特異なのか No.5、情報処理学会、2012、489-494ページ
動画投稿サイトじゃなくて「動画視聴体験共有サービス」。面白い表現だと思うんですよね。全然違うタイミングで動画を見ている人達でも、画面にコメントが流れる事で同じタイミングで動画を視聴しているように錯覚出来る。弾幕などで一緒に盛り上がれる。こういった体験は他の動画投稿サイトでは不可能ですから、ニコニコのこういう部分にハマってしまった人は離れる事が出来ないんでしょう。かく言う私もその一人でね。(隙自語)
実際今、仕事のせいでライブじゃ見れなかったブイスリーをニコ生のタイムシフトで見ながら感動している。この前のコニパで買ったペンライト振ってる。
1部のキャストには初見さんもいましたけど、それでも楽しいんだから凄い。ROSAちゃんあたり買ってしまおうかと本気で悩んでる。六花ちゃんは前々から悩んでたけど、これがキッカケで買った。
2部については推しの子が多すぎてやべぇ。初手でささつづWinter思い出したし。顎クイの所とかささつづ村の人が焼けてるのを見て「ハハハ、他の村が燃えてるの見るのは楽しいぞい」とか言って笑ってたんですけど、がくぽとflowerって言うカッコいいのが続いてその後にスグに琴葉姉妹のターンですよ。
だからクーネル・エンゲイザーは卑怯だからやめろって何度言ったら分かるんですか!!!!右腕動かなくなっちゃった振り付けはダメだって!!!人の心とかないんか!?!?ありがとうございます!!!!!(←????)
東北家は相変わらず東北家ですね。ずんだホライズン出張版とか言われててめっちゃ笑いましたが。
あかりちゃんはあかりちゃんでモグモグの後の真顔なんなの。可愛いいかよ。アルルの花、カメラワークが卑怯過ぎるでしょ、ダーメだってエーモいって。
ちゃんONEは場慣れしてる感凄くてかっこいいね…IAさんもカッコいいね…。
そしてゆかいあに挟まれる葵ちゃんで笑う、IAさんによしよしされる葵ちゃんカワイイね。EDのセンターゆかいあの隣で楽しそうに踊ってるONEとあかりちゃんもかわええ…。(語彙力)
閑話休題。
同時にどちらの論文も、タグについて言及しています。
通常のWebサイトにおけるタグと言うのは検索の利便性を上げるためだったり、グルーピングのために存在します。なので基本的にコンパクトな単語などが好まれます。
一方でニコニコ動画のタグにも勿論そういう働きはありますが、「ドブの人」「増える琴葉葵の人」「怪文書の人」で何が検索できるんやって感じじゃないですか。初見さん絶対意味わからんぞ。
これを産み出しているのがタグ付けのシステムです。まぁ知っての通り視聴者が好き勝手つける事が出来るわけですよ。やろうと思えばタグで会話とかまで出来るんですよ。たまに荒れる原因になるけど。
逆に面白いものは仮に消されたとしても誰かの記憶に残り、コピペされて生き続けていく。凄い。まるで生命の誕生ですね。(これほぼ引用なので私が言ったわけじゃないです。)
まとめると、「投稿された動画の内容を見た人がタグをつける事が出来る」と言うシステム上、他のサイトよりも圧倒的に”動画の内容を端的に表す”と言う作用が強いのが特徴の一つです。
そしてそれをもとに派生ネタが出来る事も。更に発達してもう震源地が分からねぇよって場合でもニコニコ大百科で流れをまとめる事が可能なので追いやすい。
ついたタグが動画の方向性を決めてしまう事もある。
○○の人とかホントに「あぁ~消費者生成メディア~~~」って感じがするので私は好きです。例えそれがドブの人とか怪文書の人であっても。
まとめ
ダラダラと論文の要約と自分の主観を書きましたが、まとめると
- 近年発達したCGMの大きな特徴は双方向的コミュニケーションだよ。
- そのCGMの中でもニコニコ動画は革新的なサービスだったよ。
- 具体的には視聴者がコメントとタグによって動画への介入できる点が革新的だよ。
って感じになります。
それを踏まえた上での動画の方針
折角消費者生成メディアでやってるんだし、これでしか出来ないことをやりたい。
と言うか、一方的に情報発信をするだけの”小さいマスメディア化”は避けたかった感じですね。取材力やコンテンツの構成力、投稿頻度、情報発信力じゃマスメディアには勝てないの分かりきってます、その辺は流石プロです。内容にツッコミ入れたい事は多々ありますが。
なのでうちの動画は基本的に布教が目的になってます。
決して推しカプが供給不足で餓死しそうになって、誰か助けてくれって縋るような思いで動画投稿しているわけじゃないです。決して。
嘘です。餓死しそうなんですいい加減自給自足も限界なんです助けてください。(本音)
クソッ、視聴専門だった私がなんで発信側に周らないと行けないんだッ!コミュ障ド陰キャ小心者の私がッ!あの動画が悪いんだ、あの動画が一本だけ上げてそれっきり上げないから!その一本で私の心を突き刺したから!「きっと人気のカップリングに違いない」とか思って調べても全く出てこねぇし!消費者生成メディアァ!!!
まぁいいや。
ただどーしても解説動画って言うジャンルの都合上、情報が一方通行になりがちなんですよね。特にうちの動画みたいに尺が長い動画なんて一回見て終わりって場合も多いでしょうし。
「でもなー、折角頂いた捕捉コメントとか、面白いコメントが誰の目にも触れずに消えていくのもなー、嫌だなー」って言う感情論と、「視聴者による発信を、投稿者と対等なレベルまでどうにかして持っていきたい」と言う考がありました。
それを解消する手段がコメ返動画の作成です。
動画を投稿し、コメントを頂き、それに返す。まさに双方向的な情報のやり取り。
これぞCGMの真骨頂と言っても過言じゃないでしょう。
なので昔から「コメ返動画を出来るだけ沢山作る」っていう方針でやってます。
決して「コメント貰ったーーー!イェエエエエエエイ!!嬉しいーーーー!」って言う頭空っぽ状態で作ってるわけじゃありません。決して。
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im9387108 |
なにが言いたいかって言うと。
動画が完成しました。(進捗報告)
今回もまたコメ返動画です。うん。またなんだ。すまない。
多分明日上がります。
でも尺が足りねぇ!!!!!!!!
泣く泣く滅茶苦茶カットしたのに、それでも尺が足りねぇ!!!!!
しかも凄いテンポも早いけど大丈夫コレ!?
んー、やっぱり劇場のコメ返と解説のコメ返で分けるべきだったか。
いやでもなー、流石になー、コメ返の数が多すぎてこれ以上増やしたら本編よりコメ返が多くなりそうなんだよなー。いくら私にとってコメントが重要だからって、流石にあかんよなー。
まぁいいや、ダメならダメで次回に活かせば。と言うわけで今回はこの辺で。ではー。
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